冬の寒さに逆戻りで寒い一日

2019年9月9日

冬の寒さに逆戻りで寒い一日

 

亡き妻が好きで植えた庭の椿が咲き始めました。

植えてからもう20数年になる椿の木

 

八重咲きでバラのように綺麗です。

 

木蓮も蕾が一杯付いています。

 

水仙の花

今日は水曜日、市場が休みなのでパートの仕事も休みです。

外はあいにくの雨で、家の中で庭の草木の花を眺めては妻とシーザーを思い出しては涙・・・

家に誰かがいれば、なんとか涙もこられられるが一人になるとどうしても涙が溢れてきます。

こんなに悲しいのはきっと幸せすぎたのでしょうか?

妻の生前はありふれた当たり前の毎日だったのに亡くしてから気づく愚か者ですね。

思い起こせば四十数年前、一回り以上年上の妻を口説き落とし周りの猛反対の中やっと結婚した最愛の妻です。

本当に迷惑をかけ通しでした。

妻は前の旦那さんとは死別で2人の子供を育てるシングルマザー、二人の子供が高校を卒業するまで待って気持ちが変わらなかったら結婚しようと言われたのを無理やり口説いて一緒になりました。

自分がまだ25歳の一人っ子、当然のことながら母親と親戚は猛反対(父は亡くなって半年)です。

親になった立場で考えれば当然かなとも思いますが・・・

何しろ妻より連れ子の方が歳が近かったですから、でも子供達も賛成してくれて妻を拝み倒して妻の兄さん挨拶に行きました。妻の母親はなぜか私を機にいてくれていたようです。

妻の兄にはもっと若い女を紹介してやると言われましたがなんとか口説き落としました。

なんかよくわからないうちに結婚式の段取りは妻の兄が全部してくれました。

妻と別れて後悔するか、一緒になって後悔するか同じ後悔なら一緒になろうと必死でしたが・・・

亡くなった今、一緒になってよかったなという思いでいっぱいです。

別れていたら後悔してもしきれなかった事だろうと思う。

今思えば若かったな、お金も何もない25歳の若造です。好きで一緒になりたいただその一念でした。

妻に先立たれるのは年齢からいっても仕方なないことだと、程度覚悟はしていましたが、それでも辛すぎます。

四十代で大腸ガンの手術その後またガンガ見つかり手術、リュウマチの発症六年前に転んで大腿骨骨折で手術、闘病生活の連続でした。

医者には寝たきりになるかもしれないと言われ呆然としましたが、自宅療養で最後は要介護5になってしまいましたが、自宅て看取れた事がせめてもの救いです。

一番小さい孫が来ると娘が孫で孫のことをひ孫?って言うようになりかなりショックでしたが

ここ一年くらいは痴呆も進んで一緒に住んでいる娘の事まであんた誰?って言うようになりましたが、私の事は忘れずに覚えていてくれたので助かりました。

病気や怪我で入退院の連続でしたからリハビリで他の病院に転院するのも嫌がっていました。

パートで介護施設とかも配達に行くのですが、老後はいくら不便でも自宅に勝るものはないと思います。

自分も最後まで自宅にいたいと思う。

男の介護ですから思うようにできなかった部分も多いと思いますが文句も言わず最後まで頑張ってくれました。

亡くなったのは悲しすぎるけど妻には感謝で一杯です。

骨を拾ってあげる約束だったから、あんまり幸せにはできなかったけど最後の約束は果たす事が出来た。

この悲しみは一生続くのだろうか?・・・